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THE KIMEKOMI NINGYO

〜kimekomi:wedding dress〜
城下町として
- 人形の町といわれる岩槻は、550年前に太田道灌が白鶴城を築いてから奥州、北陸道に通ずる宿場町、城下町として栄えたといわれています。
- 江戸時代には、町を貫く日光御成街道として将軍の日光参拝の街道として多くの大名行列が通ったところでもあります。
日光東照宮の造営時に、多くの工匠がこの仕事に従事し、その後この地に足を止め、人形作りを始めたことが人形の町の起源といわれています。 - この町の気候風土、環境が適したこともあり、また人形作りに欠かせない桐の産地であったことも発達した理由の一つです。
- 現在、550軒の大小の人形店、製作所があり、「ひな祭り」、「こどもの日」などに人形を買い求める人で賑わいます。
又、毎年多くの人形にまつわる史跡めぐりや行事が盛大に行われます。
The Kimekomi Ningyo
- 〈wooden doll dressed in kimono〉is created by carving lines in wood made from solidify in Kiriko with Shoufu starch,and insertining kimono cloth into the lines.
- The history of this doll dates to Genbun Nenkan〈1736−1740〉,When those who served at Kamigamo Shrine in Kyoto made the doll from willow trees used for festivals.
- It was first called”Gamo Ningyo,but now due to the production method it is known as Edo Kimekomi Ningyo.

〜Ichimatsu:boy&girl〜
戸木目込人形とは
- 受け継がれる人形師の技、粋に冴えて・・…・。
桐粉をしょうふ糊で固めたものに筋彫りをして、そこに布地をきめこんで作ります。
- この歴史は、元文年間(1736〜1740)に京都上賀茂神社に仕える人が票事に使う柳の木で作ったのが始まりだといわれています。
- 始めは、「賀茂人形」と呼ばれていましたが、その製法から今は「江戸木目込人形」となりました。・・・・
〔岩槻人形組合パンフレットから抜粋〕
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